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歴史

このページは大都市総合開発鉄道での歴史を紹介するページです。

1899年8月14日:いの地方で初めての鉄道企業、「維廼電気軌道株式会社」が設立。
1899年10月27日:いの~東川寺間での鉄道敷設の路線免許を取得。
1900年1月12日:東川寺~大川~小田町(現:東京山駅)間の路線免許を取得。
1900年5月7日:いの~東川寺間での営業開始。当時は軌道法に則り、機関車1両+客車1両編成で運行。
1900年7月13日:東川寺~省(現:熱川)間が延伸開業。
1901年6月9日:東京山~果奈(現在:はてな)~いの崎まで路線免許を取得。
1901年9月22日省(現:熱川)~東京山間が延伸開業。
1903年11月1日:軌道の需要拡大から維迺電気軌道が軌道法から鉄道法へ変更し、会社名も維迺急行電気鉄道へ改称。
1904年12月3日:立石電気鉄道が設立し、大和町~立石~果奈に至る路線を免許申請。
1905年:
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1940年1月27日:陸上交通事業調整法により、海州立石電気鉄道が発足。
1940年11月1日:電気産業を分離し国有化され、いの電力として設立。
1942年2月10日:戦時下における国有化が検討される。
1945年8月15日:ポツダム宣言を受け入れたことにより、国有化については破棄されるが、公共事業として半国有化
1948年4月20日:財閥化を防ぐために、会社構造を見直し、支社方式を採用(第一次海石改革)
1950年10月23日:武蔵高速鉄道計画が実行されて武蔵高速鉄道が子会社として設立。土地買収が始まる。
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1962年3月10日:1000系(登場時は10系)運行開始
1964年6月28日:多摩ニュータウン鉄道計画に参画し、多摩電気鉄道を日本住宅公団との合同投資で設立。以後子会社となる。
1966年8月1日:多摩電鉄の渋谷~多摩ニュータウン間、武蔵高速鉄道の渋谷~武蔵栄町~大宮・箱根ヶ崎間が着工。
1972年2月19日:武蔵高速鉄道の渋谷~武蔵栄町~新座間が完全地下区間での開業。箱根ヶ崎~秩父間を免許申請。
1974年4月1日:多摩電鉄の渋谷~多摩ニュータウン間が開業。多摩ニュータウン~橋本~津久井湖間を免許申請。
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1992年4月1日:日本開発と海州立石電鉄が合併し、日本開発鉄道が設立。
1994年6月2日:東迺トンネルが完成。乗務員訓練が開始
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2004年3月13日:1100系が運行開始。
2005年4月1日:子会社の武蔵高速鉄道・多摩電鉄が日本開発鉄道関東支社として吸収合併・編入
2005年4月12日:ダイヤ改正により、芽が丘線が開業し、1300系が運行開始。
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2008年3月15日:日本開発グループ全会社が利用できる。交通系ICカード「MaChiCa」が導入。
2010年3月13日:「MaChiCa」が「Suica・Pasmo・Icoca・Nimoca・Kitaca・はやかけん・SUGOCA」との相互利用開始。
2013年3月16日:「MaChiCa」の全国交通系ICカード相互利用が開始される。
2014年8月15日:日本開発鉄道が、日本開発グループと分離。新都市総合開拓産業に買収され、大都市総合開発鉄道へ改称。支社方式の見直しにより、いの本社・関東支社・堤支社の3支社構成となる。
2015年3月14日:ダイヤ改正により、新型車両「4000系」が導入。子会社の多摩電鉄が吸収合併され、大都鉄道関東支社の路線となる。
2017年3月25日:萌原線の「萌原~小路町」が延伸開業。
2018年5月5日:新日本公共交通・Kakukaへ加盟。
2018年7月24日:多摩都市若葉電鉄グループの新都市幕張鉄道の舞浜~村上間を子会社化、第三セクター化により、湾岸幕張新都心鉄道が設立。
2018年10月1日:日本架空鉄道協会へ加盟。湾岸幕張新都心鉄道木場線との相互直通運転開始、幕張線村上まで直通運転がされる。
2018年11月16日:豊尾電鉄が経営難により、鉄道旅客事業を当社に売却。
2019年3月16日:ダイヤ改正により、新型車両「5000系・5500系」の導入が開始。新型特急「HIROSHIGE・35000系」の運行開始・特急むさしのが東京都心急行電鉄との相互直通運転を開始・元豊尾電鉄区間を合併し、当社路線として再度開業。